3rd Day -ミラノ〜フィレンツェ-

グッドモーニング?

イタリアに来てから30時間後の朝。今日はフィレンツェへの移動する。
起きてみると昨日あれほど緩かったお腹がなんともない!さすがは正露丸。長旅には欠かせない代物です。が、咳の方はまだ治っていなかった…

フィレンツェ行き超特急

出発が早いので朝食はとらずチェックアウト。ミラノ中央駅まで目指す。そこからユーロスターに乗って一気にフィレンツェへ。

だんだん見えてくるトスカーナの風景。

本当は写真よりももっとイイ風景があったのだが、高速で動いているので、すぐトンネルに入ったり目の前の並木に邪魔されたりとなかなかシャッターチャンスを捉えるのが難しい。拙者、ケイタイのカメラで撮影したので、ここらへんが限界なのだ。

ボローニャ停車を除けば、フィレンツェまで直行してるとはいえ3時間もかかる。
食堂車で朝食をとりつつ(ここのコーヒーはウマい!)、まったりと時をすごした。

そしてお昼前にフィレンツェに到着する。

フィレンツェ到着!


午前中にフィレンツェ到着。
地図の載っている本を頼りにホテルに向かう一同だが、途中にホテルバウチャーがなくなっているのに気づく。これが無いと今晩のホテルに泊まれない。パニックになる一同。地図は本にはさんであったという。とりあえず、重い荷物を引きずり駅へ戻る。しばらく探すとバウチャーはすぐ見つかった。ホッとしてホテルに向かうことにした。早く見つかってよかった。

チェックインはこのようなトラブルがあったにも関わらず、予定より早かったらしい。とりあえず荷物を預けフィレンツェの街へ繰り出した。

美術館のような街


駅からすぐ見えるサンタ・マリア・ノヴェッラ教会からパンツァーニ通りへ抜ける。石畳の道路に赤い屋根の煉瓦家が立ち並ぶフィレンツェの街並み。家の外壁はどの家もオレンジやベージュで統一されていて、空間の調和がとれている。まるで街全体が美術品の様だ。歩いていて楽しくなる。


ここがフィレンツェか。なかなかイイ街だ。


サン・ジョヴァンニ礼拝堂とジョットの鈴楼


しばらく歩くと周囲と明らかに雰囲気の違う建築物が見えた。八角形の建物で、外壁に他の建物には使われていない緑の文様が施されている。これはサン・ジョヴァンニ礼拝堂と呼ばれているらしい。奥に見える赤いドームはここフィレンツェのドゥオモ(大聖堂)だ。

ドゥオモは明日訪問する予定なので、ここには触れずにしておこう。
そして、礼拝堂の隣に見えるのがジョットの鐘楼だ。
僕らが来る頃にはちょうどお昼で、タイミングよく鐘の音がフィレンツェの街へ鳴り響いた。


共和国広場


そこから少し南に行ったところに共和国広場。
ストリートパフォーマーやお土産の露店が立ち並ぶ中、何故か奥にメリーゴーランドがあった。しばらく眺めていると、背後からパカパカと馬の歩く音がする。振り向くと、なんと騎兵さんではありませんか。



騎兵さんは広場を左へ抜け去っていく。追いかけて見ると、しばらくしないうちに馬が止まった。馬から下りて携帯で何か話し始める騎兵さん。なんかスゴくカッコよかったので、写真に収めておきました。
その後、近くのところに安いピッツァ屋があるらしく、そこで昼食。安くでも、すごく美味しいピザでした。


昼食後、向かいにオシャレな時計屋やアクセサリー屋があり、冷やかしに行く。アクセサリーに自分の名前の一字を漢字で模ったネックレスがあって感激、衝動買いして装着する。そのまま一日中そのネックレスをつけていた。思い返すと、そのネックレスをつけてから、ちょっと街の人の視線が異様なものを見る目つきに変わった気がする。よくよく見ると、ここの男たちは一人たりともネックレスをつけていない。どうやら男はネックレスを着けない国らしい。後日、そのネックレスを一度も身につけることはなかった

幸せのイノシシ


共和国広場を南へ行くと、人だかりが出来ているのを発見。そこの中心に微妙にセクシーポーズをとっているイノシシ像があった。口元から水を垂れ流している。文章で書き表すと酷そうな事を書いているが、これぞ『幸せのイノシシ像』である。イノシシの鼻をなでたものは幸せになるといういい伝えがあり、多くの観光客が鼻をなでていった。口から出る水で手を清めた後、鼻をなでた。それにしても何故、イノシシ?


シニョリーア広場

イノシシから東への道を通ると、シリョリーア広場へ抜けた。

シニョリーア広場
自由都市の政治が舞台となってきた広場。中世の頃には、フィレンツェの政治の中心として人が集い、議論を戦わせてきた場所。ヴェッキオ宮殿の前の大広場には『ネプチューンの噴水』、ミケランジェロの『ダヴィデ像』(コピー)の他、彫刻回廊にも彫刻作品が並べられている。かつて、ドメニコ会修道僧サヴァナローラの「虚飾の焼却」が行われたのも、火あぶりの刑に処せられたのもここだった。まさにフィレンツェの歴史が刻まれた記念碑的な場所だ。重要な式典や集会の場であったシニョリーア広場。この一帯は昔も今もフィレンツェの政治商業の中心地だ。

ブルーガイド社『わがまま歩き』より

ここでコピーとはいえダヴィデ像を拝む事が出来た。本物は奥のヴェッキオ宮殿の中にあるが、この中に入る機会はなかった。

ウフィツィ広場


次の観光ポイントはヴェッキオ橋。そこまで行くのにこの広場を通るのだが、両側にそびえる建物が、かの高名なウフィツィ美術館とは気付かなかった。ウフィツィ美術館は明日の訪問を予定している。朝早くから行くので、行くべき場所を覚えたのは都合がいい。ちなみ、この広場には南北に延びていて広場というよりはストリートに近い。周りには著名な人物の像が飾られていて、あのガリレオ・ガリレイの像もあった。
たくさんのパフォーマー達がおり、それぞれ芸を披露していた。絵を描くものがほとんど大半であったけど、中でも目を引いたのが、白いローブを纏い、自身も全身にお白粉をして、様々な彫像のポーズをする男。よく研究したのか、ひとつひとつのポージングがキまっていて素晴らしい。ジョジョ立ちにスカウトしたら絶賛の嵐を受けるだろう。
あまりにもツボだったのでチップあげたら、イキナリ動き出してビックリした。僕に手を差し出して握手を求めていた。一瞬の事だったのでキョトンとしたが、意味を理解出来たら、腹の底からおかしさがこみ上げてきた。彫像との握手を友人のカメラに収めて頂きました。

ポンテ・ヴェッキオ



ウフィツィ広場を抜けるとアルテ川に出た。右側にヴェッキオ橋が見えた。家が橋の上に立ち並んで珍しい光景を生み出している。ポンテとはイタリア語で『橋』の意。橋の両側にある家は実は金銀細工のショップ。繊細な工芸品が売り出されていた。

ピッティ宮殿


ヴェッキオ橋を越えて少し歩くとピッティ宮殿。

ボボリ庭園の玄関口でもある。でも僕らはここから庭園には入らなかった。裏側にまわって、学生みたいに裏口から入る事に。その前にここで全員集合写真。すごくくだらない事だから書かないけど、撮る際ハプニングがあって面白かった。

ボボリ庭園


長い路地を歩きローマ門をくぐると、ようやく裏口に到着。
入り口が2つあって、一つは小さくて目ただない所にある。もう一つは大きな門があった。大きな門の方だろうと思って入ったら、違っていた。憤慨して引き返す。小さい入り口の方に入るとしょぼいチケット売り場。ここから入ってくる人はあまりいないという事だろうか。
ボボリ庭園は広大な面積を誇る有数の庭園。入って直ぐの所に広大な広場があり、道が3つに大きく別れていた。植木壁は巨大で高さは5〜7mはありそう。一見、巨大迷路のように見えた。

この庭園は圧倒的に広い。後で調べた事だが、なんと45ヘクタールもある。フィレンツェの地図を開いてみると、アルノ川以北の主要観光地区全体の約30%の面積をボボリ庭園だけで占めていると言える。なんともスケールの大きい庭園だ。あまりにも広すぎるので隅々まで見回るのを諦め、Viale dei Cipressiと呼ばれる庭園の中央を貫く大通りをまっすぐ進んだ。


池のある広場を抜けると、急勾配の長く幅広い坂。
隣に木の枝がアーチのトンネルを作っている小道があった。おとぎ話の世界に迷い込んだようだ。木々の隙間から漏れる光が美しい。木々のトンネルを抜け急勾配の坂へ。ほうほうの思いで登る、どういうわけが先頭に立って歩いてるのは女の子。元気ありますなあ。僕は時々見える、脇の小道に見とれていて最後尾でした。どうも集団で歩くと僕はいつもよそ見して、どんどん後にいってしまいがちだ。坂の両側にある迷路のような道へ寄っていきたかったけど、みんな坂を早く登り切りたいらしく諦めて後をついていく。



坂をようやく登り切ると丘に出た。遠くを見やると珍しい人面石がある。

何故、こんなところにオルメカ文明の遺物が…?(注:違います)


丘から眺めたフィレンツェの光景。そよ風が気持ちイイ〜♪

眼下にパラティーノ美術館。その手前にペガサス像があった、一目見ようと像のところまで降りる。さっき、坂登ったのにもう下りかよ。

写真撮って、また登る。庭園なのに随分アップダウンの激しいところだなあ。ガイドブックによるとコジモ1世が妻の健康のためにこの庭園を作らせたという。なるほど、こんなところを毎日歩いていたら、嫌でも健康になる。円形劇場の傍をかすめる形で登っていくと、ネプチューンの噴水へ出た。あとはアップダウンを繰り返しながら庭園を回っていき、頃よいところで、下った。

さすがに歩き疲れたので、出口のバールで休憩。フラゴーラ(イチゴ)のジェラードを食べた。

アルノ川を沿って

出口を抜けるとピッティ宮殿の玄関に出た。
ヴェッキオ橋まで歩き、手前で右に曲がり、川に沿って進む。今日は暑くジリジリしていたもの、風は穏やかで、一つ一つの家が赤煉瓦やベージュなど暖色系でまとめられているせいか、街は昼なのにいつも夕暮れのような雰囲気だった。この街にいると落ち着くのも、街の暖色効果によるものなのだろう。

アルノ川を沿って進むと、ミケランジェロ広場が見えてきた。

ミケランジェロの丘


ミケランジェロ広場まで行くにはきつい登り坂を登らなければならず、結構大変だった。ここに来るまでにも、どれだけ歩いてきたのだろうか。脚が棒になりそうだ。
登りきると、そこは広場になっており、中心に巨大なブロンスのダビデ像が立てられていた。像の頭や手の上にはよくハトが停まっていた。(それにしても、イタリアは本当にハトが多いね)
ここで見所の芸術作品といえばダビデ像ぐらいなものだが、実はもうひとつ芸術作品がある。それは、まさしくここから見渡せるフィレンツェの街並みだろう。ボボリ庭園の丘からの眺めもよかったが、ここはフィレンツエと正面向き合った格好で最高の眺めが望める。帰国してから「冷静と情熱のあいだ」という映画を見た。映画の場合はヘリからの空撮だったが、あのオープニングの街並みと同程度のロケーションがここにはある。

ここで至福のひとときを過ごした。

そして…

予定していた所は全部見回った。時刻は17時、夕食には少し早過ぎるので、とりあえず他のところを見て行くことに。向かう先は詩人ダンテの家。そのまま真っ直ぐに向かうはずだったが、まあ、結果的にそこまで行くのにいろいろ寄り道することになった。


普通の橋から眺めたフィレンツェ郊外の風景。写真には載っていないが川でおじさんが一人で釣りをしたり、若者たちがカヌーを楽しんでいる姿もあった。しばらく歩くとインターネットポイント(ネット喫茶って言わないようだ)発見。日本にいる友人にメールを書く。


途中でサンタ・クローチェ教会を通りすがる。教会の前でヘンテコなポージングをとる罰当たりな3人(写真:左)。その後、ふらっと店に立ち寄ったり。ジェラード食べたりしながら、フィレンツェの細い路地裏を縫うようにダンテの家まで進んだ。

右の写真がダンテが生まれた家。13世紀当時の姿に復元されている。思いの他に大きい。中は入れなかったが、外壁に家の中の見取り図が書かれていて、その内部の広さを確認できる。ダンテって物凄く貧乏で苦学してそうなイメージがあったけど、実際はお金持ちの生まれだったのね。

後は街をブラブラしながら、気になるお店に冷やかししていくうちに、夕食にちょうどよい時間になったので、そのままレストランへ向かった。

フィレンツェの夕食


あらかじめ決められていた夕食の場所にむかう。初めに見た共和国広場の門を抜け、ブランド通りを越えた広場の近くにある。
昨日の経験を踏まえ、料理は山分け。それぞれ、リゾット、スープ、パスタ、サラダなどを注文。想像どおり、結構な量の料理が来た。ほかの外国人の皿を見ると一人一皿食べているように見えるが。僕ら日本人にはこのスタイルが合うのだと割り切った。その精神がよく表れてるのが幕の内弁当だろう。なかなか満足したディナーだった。このスタイルは最後の晩餐まで貫くことになる。

そういえばディナーの写真撮るの忘れてたorz


夕食後は、日が暮れるフィレンツェの街をぶらぶら歩きながら最短距離でホテルに戻った。ホテルについて明日の打ち合わせを済ませる。その後、短くお喋りした。昨日と比べ今日は結構歩いた。2倍ぐらい歩いたような気がする。疲れも半端じゃなかった。昨日と同じく滝のごとく眠りに入る。後日談だが、女の子のほうは夜中の1時までお喋りをつづけていたらしい。恐るべし。

歩いたルート


To be continued...